ありがとう
夕立が去った後の夕暮れに去来したある恩人の話。
僕がその人と出会った頃、その人は「Juke Joint」というバーを経営していた。その人は「エージさん」と呼ばれ、僕はある人に誘われその店で月イチくらいのペースで週末明け方近くまで演奏さしてもらっていた。
4年程前の話かなぁ。僕がまだ20歳の頃の話です。
僕はその当時の時点でブルースに深く心を奪われていたが、当時組んでいたロックバンドを辞めたばかり。新たな演奏場所を求めていて(初めてハウリンに来たのもこの頃。)四苦八苦している所にこの店に出会った。
僕がこの店で演奏するようになってから2年経つか経たないかという内にこの店は閉めてしまったが、とうとう僕は、途中間は空きつつも、その店で定期的にやらせてもらった。
と言いつつも、最初から上手く演奏出来たわけでもなく。
目の前にいるのは普通のお客さん。特に音楽が大好きという人間が集まってるわけでもなく、みんなその店での空間を楽しんでいる一般客。
僕はそれまで音楽好きの客の前で、いかに自分の音でその目の前の人間を圧倒するか、いかに自分を認めさせるか、そういう音を出していた。
目の前の、ただのお客さんを前に僕は何も出来なかった。
しかも追い討ちをかけるように、その店はドラムレス。ギター、ハープ、ベースの編成で、それまでドラムがいるのが当たり前だった僕は自分でビートを出すことができなかった。
だけども、その店で演奏する内に、僕は分かった。
演奏するってことは、自分をただ主張するのではなく、
その空間にいる人と人とを繋げる魔法なんだ。
自分が演奏することで、その空間を繋げ、誰かと誰かが出会い、その日1日誰かの中で素晴らしい日になれば、それがきっと大切なことなんだ。
そしてそれは誰にでも出来ることじゃない。
最初のうちは演奏が終わっても誰も声をかけてくれる人はおらず、アルコール漬けの体を持ち上げ肩を落としながら帰る日々だったが、徐々に声をかけてくれるお客さんも増えていき、自分の中でもそれなりに何か見えてきた。
お客さんが少なかった日も、毎月エージさんは僕らに酒をおごり、ギャラをかかさなかった。僕らが拒んでも。
エージさんはいつも「僕は上手い下手は分からんねん。でも皆楽しそうに笑ってて、その時間だけでも楽しかったらそれでええんちゃうかなぁと思うねん。僕は浩平君らの演奏が好きやで。」て言ってた。
こんな経験が、今の僕の音を支えてる。
ハウリンでのマンスリーパイソンズに、僕のそんな要素が少しは出たんじゃないかなって思う。
エージさんが亡くなったと、今日知らせが入った。
パイソンズやAPE`Sをエージさんに観てもらいたかったな。僕の携帯電話の電話帳には、もう繋がることのないエージさんの番号が残ったまま。
明け方にエージさんが照れながら爪弾くブルースの感触が今も耳に残っている。
エージさんありがとう。
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